社会物語学が中上健次を語る

@mimei_maudet
Essay : 2022/03/23

1. 物語が私をかたる

たとえば、こんなことがあった。生まれてから小学校に入るころまで、祖母に引きとられて育てられていた。その祖母が癌で亡くなってからは、母とその再婚相手のもとで暮らすことになった。そこで、子供心に驚かされたことがある。二人は、あるキリスト教系のカルトに入信していて、その教えを固く信じていたのだった。そんな二人がただ単に、ふしぎだった。どうしてなのだろう、と思った。ある朝、家を出る間際に、その問いをつい、母に投げかけてしまった。虚をつかれたようなそのときの母の顔を、いまだに覚えている。きょとんとして、首をかしげた。その顔が途方に暮れていた。今までそんなことを考えてもみなかったのかもしれない。目を泳がせたその顔が、そら恐ろしかった。無防備なひとりの人間の背後に、言葉にはできない何か、とても大きな力、暗い力が働いている。そんな気がしたのだったのかもしれない。それに気づかずにいる自分たちのことこそ、怖かったのかもしれない。今になって思いかえしてみると、この世界には言葉を尽くしても説明できないことがある、ということを知ったのは、そのときだった。しかし、それは、それが単に人智をこえていたり、あまりにも複雑だったりするからではない、ということには、あとになって気づいた。母がある宗教に強く惹きこまれた。その理由を説明しようとするときに口をついて出てくるのは、無数の物語たちだけだった。というより、説明というもの、なにかを「説く」ということは、つねに物語の形をとるものなのだろう。

物語には、主語、つまり、主人公としての視点人物がつきものだ。主人公が行動しなければ、物語にならず、説明にならない。たとえば、母は心のよりどころを求めていたのだ、とか、あるいは母はみずから考えることを投げ出してしまったのだ、とか言われるときにも、母という主語が行為に結びつけられることで、物語が構成されている。これらの物語は、間違いではないのかもしれない。きっと、それぞれがそれぞれの真実を物語っているのだろう。しかし、本当のところは、何もわからない。ただ一つ、確かなように思えるのは、いかなる物語であっても、その背後には、見えない大きな力、意志のような何かが、働いている、ということだ。たとえば、「国民国家」というものも一つの物語だとしよう。それは、どこから来たのか。ミシェル・フーコーという哲学者は次のように言っている。

国家の成立に関しては、それは決して専制君主のような人物や、上位の階級にある人間が、裏からそれをあやつったとかいうことではなく、どうにもわからない大きな愛というか意志みたいなものがあったとしかいいようがないのです。(『世界認識の方法』)

なんらかの物語が現にそうあることや、そうあってしまったことの理由は、本当のところ、だれにも問えない。言葉を尽くしても、それは物語をむやみに増殖させることにしかならないからだ。だから、意志のようなものがあった、としかいいようがない。差別というものについても、同じことが言える。中上健次という人は、今から三十年以上も前に、なぜ差別があるのか、ということについて真剣に考えた。唐突に夭逝したこの作家自身は、その問いにはっきり答えられたわけではない。しかし、すくなくとも、問いの意味を深めることには成功している。それは、問いに答えるよりも、実ははるかに難しいことなのだ。

中上によれば、「差別は物語(り)」なのだという。これには、二重の意味がある。まずはそのことから話してみたい。たとえば、性差別を考えてみる。子育ては女がするものなのだ、と信じられているとき、差別は物語の形をとってあらわられている。ここでは、女という主語があり、それが子育てという行為に紐付けられている。人種差別にしても、部落差別にしても、障碍者差別にも、あらゆる差別はこのように主語をともなってあらわれる。主語、行為主体としての登場人物のいないところに、差別はない。これが第一の意味での「差別は物語だ」ということである。これは、内容レベル(コンスタティヴなレベル)の差別であるとも言える。第二に、差別は、主語を生みだす力、もっと正確にいうと何らかの区別や違いを生みだす力そのものである、ということだ。たとえば、そももそなぜ「女」という語があるのか。あるいは「黒人」という語があるのか。これらの主語は「男」や「白人」という語から区別されるかぎりにおいて、意味をなしている。語の意味や形というものは、そのような区別によってのみ成立している。そこに実体はなく、関係しかない。光が、陰との関係の中でのみ理解されるように、 のような区別の運動そのものとしての差別のことを、中上は「物語り」と呼んだ。ここであえて「り」を残したのは、それが内容レベルでの物語《ストーリー》であるというより、物語り《ナレーション》という出来事そのものであることを強調したいからだ。

このような第二の意味での差別は、とても抽象的なものだ。たとえば、もし政治というものの本質が、カール・シュミットという法学者がいうように「敵」と「味方」との区別、つまり「あいつら」と「われわれ」の区別にあるのだとしたら、これも差別としての物語りであるということができる。あるいは「日本人」と「外(国)人」、「あなた」と「私」といった区別もまた、物語りであるということになる。中上はそこで、どうして、どのようにして差別はあるのか、ということを問おうとした。ここでは、まず、このことについて考えてみたい。

第一の意味(内容レベル)での差別は、言葉によって何らかの説明をすることができるかもしれない。それは、ときとして人文科学という物語の形をとることもある。たとえばそれは、人種差別は植民地主義に端を発している、といった史学的な説明だったり、部落差別には日本人の穢れ意識が働いている、というような人類学的な考え方などだ。つまり、新たな物語を紡ぎ出し、既存の物語への接続をするといった操作を通して、差別を意味づけなおすことはできる、ということだ。では、第二の意味での差別、つまり物語りという運動そのものの起源は、どのように説明できるだろうか。そのとき、だれが物語るのか、という問いは、可能なのだろうか。たとえば、親たるものは子育てをすべきである、というような物語の語り手は、誰なのか。あるいは、私の母があるカルトに惹かれていったとき、そのような物語を望んだのは、まぎれもない母自身だったのだろうか。

このような物語りそのものに対する問いは、あまり専門的には扱われてこなかった。すくなくとも、いわゆる「物語学」のような学問の管轄にはない。なぜなら、物語学は基本的に、物語を「もの」として扱うからだ。たとえば、ウラジミール・プロップという人は、『昔話の形態学』という仕事の中で、物語にはかたちがあると考えた。そして、そのような構造物としての形態のうちにあるメカニズムを分析した。物語はそのとき、作者の「生産物」や「作品」としてのテクストとして理解されている。

もちろん、テクストの語り口としてのナレーションを分析するのも、物語学の仕事の一つである。しかしここでも、ナレーションは、出来事というより、テクスト内の要素としてある。物語学は基本的に、テクストの外部のことを問わない。たとえば、どのようにして当該のテクストが成立したのか、ということには関心を持たない。それを扱うのは、もともと文学(作家研究など)の領分だった。いずれにしても、物語はそのとき、作者の語りによって生みだされた「もの」でしかない。 中上の考えていた「物語」は、これとはすこし違う。中上によれば、物語は「こと」(事=言)だという。これは、ジェラール・ジュネットのような物語学者が考えたような、語り手が行う物語産出の「行為」としてのナレーションとも違う。

物語は、何らかの主体による行為ではなく、主体を欠いた出来事である、と中上は考える。社会学では、何らかの形がひとりでに立ち現れてくることを「創発《エマージェンス》」と言ったりするけれども、ちょうどそんなふうに物語は立ちあがる、というわけだ。では、どのように物語は立ちあがるのだろう。なぜ、差別は、だれの意志によるものでもなく、差別自身の意志としか言いようのない形で、ひとりでに生みだされてしまうのだろう。ここでは、このような問題系のことを「社会物語学的」であると形容したい。この言葉をはじめて使ったのはおそらく、アーサー・フランクという社会学者だ。これから、そのことについて考えてみよう。

まず、アーサー・フランクは、『Letting Stories Breathe(物語に息吹を)』という仕事の中で、物語の社会的な機能に関心をむけている。つまり、物語を社会的行為の主体とみなして、それが社会の中でどのような働きを担っているのかを考えている。フランクはそこで、なぜ特定の物語が特定の人に対して強く働きかけるのか、という問いを立てた。これは、ルイ・アルチュセールという哲学者がかつて「イデオロギーの呼びかけ」という言葉を使って問題にしたことに通じる。

アルチュセールによれば、人はイデオロギーの呼びかけに応えることを通して主体になる、という。たとえば、「人は自由の刑に処されている」という文言を、なにかの書物の中で、私がはじめて目にしたとしよう。そのとき、言説の真偽自体は問題にならない。重要なのは、私がそれを単に聞き流すことができるのかどうか、ということだ。もし、なにか、ぴんとくるものがあったのなら、私はそのとき、物語に呼びかけられている。私は「人」や「自由」といった言葉づかいをするイデオロギーの中にいて、その登場人物の一人、つまり一つの主語である主体になりかけている、とアルチュセールは考えた。

では、そもそもなぜ、ある種の物語の呼びかけはある種の人の耳まで届き、ある種の人の耳には届かないのだろうか。フランクは「ナラティブ・ハビトゥス」という概念を用いて、この問いに応えようとする。「ハビトゥス」とはそもそも、ピエール・ブルデューという社会学者の仕事によって知られるようになった用語である。ハビトゥスとは、ようするに、行動の傾向性としてのシステムのことだ。個々人は、知らずしらずに社会での振るまい方を身に着けてゆく。その蓄積が行動方針のシステムとなって、その後の振るまいを方向づけてゆく、という。たとえば、説明書のないまま、あるゲームをしなければならないとする。はじめは、わからないことばかりのはずである。しかし、試行錯誤を繰りかえすうちに、ゲームの規則がおのずと身についてくる。そこで、さらに別のゲームを新たに始めなければならないとしたら、どうだろうか。ここでもまた、説明書がない。しかし、前回とはどれほど異なるゲームであったとしても、人は以前身につけたゲームの感覚《センス》に頼らざるをえない。つまり、それを一つ与件とせざるをえない。そして、新たな試行錯誤の中で、そこに変更が加えられ、新たな行動の方向性《センス》がおのずと定まってゆくはずだ。社会での生活もゲームのようなものだ、とブルデューは考えた。したがって、ハビトゥスとはいわば生活のセンスである、と言うこともできる。その感覚が、与件として、社会へのむきあい方を条件づける。ハビトゥスによって、人は知らずしらずの積極性を発揮せざるをえない。ここで重要なのは、その人自身の主体性、つまり意志によって行動がなされるのではない、ということだ。そうではなく、与件としてのハビトゥスこそが行動を定めてゆく。

では、フランクのいう「ナラティブ・ハビトゥス」とは、何か。これは、物語のセンスのことである。人は、物語の諸規則をナラティブ・ハビトゥスとして身につけている。そのため、絶えず物語の次の展開を予期し、不断に意味を与えていこうとする。人は消極的に物語を理解することができない。知らずしらずの積極性を発揮して、物語を理解してしまっている。ただし、物語を理解する、という言い方は正確ではない。理解されたものこそが物語であるからだ。そのため、ナラティブ・ハビトゥスは単に、既存の物語の理解の仕方――たとえば、コンテンツという物としての物語の消費の仕方――を条件づけるものなのではない。言いかえれば、テクストとして固定された世界があって、人によってその解釈の仕方が違う、ということではない。そうではなく、ナラティブ・ハビトゥスは、世界が世界として成りたつための与件そのものなのだ。人をとりまく環境は、物語というフォーマットを通してはじめて、環世界として理解される。たとえば「風が吹く」とき、ある種の空気の運動が「風」という主語になり、それが動作主体として「吹く」ということになる。ナラティブ・ハビトゥスというシステムはそのように、環境の理解の仕方を条件づけることで、世界を構成する。

フランクによれば、このような与件としてのナラティブ・ハビトゥスこそが、種々の物語の呼びかけへの感度を左右する。それは、単なる好みの問題ではない。なぜなら、選択の問題ではないからだ。ここでは、人はいかなる物語の中に知らずしらず身をおいてしまっているのか、ということが問題になっている。そのためイデオロギーの呼びかけに応えることで人は主体になる、という言い方は正確ではない。アルチュセール自身が述べているように、人は気づいたときには、つねに、すでに呼びかけに応えてしまっている。人は気づいたときにはつねに、すでに、主体であってしまう。その上で、人はどのように物語とよく付きあうことができるのか、という問いをフランクは立てた。物語を回避することはできない。なぜなら、物語は単なる虚構なのではなく、現実を構成するものだからだ。たとえば、日本における天皇制という物語を考えてもいい。それが虚構である、というのは簡単だ。しかし、現に天皇と呼ばれる物語の主人公が、皇居で皇宮警察に守られて暮らしている。物語はそのように現前する。

フランクによれば、物語とは、人間の「マテリアル=セミオティック・コンパニオン」、つまり記号的であると同時に物質的であるような相方である、という。相方とは、他者として存在しながら互いを生かしあい、光と闇のように互いを形作るもののことだ。人間がなければ物語はなく、物語がなければ人間はない。そう考えるフランクは、その上で、どうすれば人間が物語とよりよく共生できるのかを問う。フランクはこのとき、人間を物語の他者として想定することで、物語へのメタ認知的な関わりの可能性を信じている。このことは『Letting Stories Breathe(物語に息吹を)』という書名の主語として「あなた」や「私」が暗示されていることからも理解できるだろう。ここには、理論的な限界がある。フランクのが学説もまた、一つの物語にすぎない。にもかかわらず、フランクの理論はその事実を自らのうちに組みこむことができない、という限界だ。どのような学説も、それが人の言葉で語られる以上、物語の形を避けがたくとるものだ。自然言語は、行為者(主格)や被行為者(対格や与格)の関係を表現するものだからだ。しかし、そんな学説という物語の主人公として「人間」が登場することの意味は、よくよく考えてみる必要がある。たしかに、フランクは、当の著者の中で明言している。自分は単なる記述にのみに終始する学問(理論)ではなく、規範的な学問(思想)として、社会物語学を試みる、という。フランクはつまり、フランクなりの倫理的な問いを携え、世界に働きかけようとする。だからこそ「人間」という行為主体を社会物語学の主人公に位置づけないわけにはいかない。しかし、フランクの理論はこのとき、「こと」としての物語のダイナミズムをとらえ損ねる。実際、フランクが関心をむけるのはあくまで物語《ストーリー》という「もの」であって、物語り《ナレーション》という出来事ではない。だから、四十年以上も前に投げかけられた中上の次のような批判に応えることはできない。

今振りまかれている反物語論ってあるでしょう。[…]それは、ある意味で反物語を物語的に信じ過ぎてるんですよね。反物語に物語を言うことによって、いわばロマン主義に陥っているとしか言いようがない。(講演「現代小説の方法」)

中上がここでいう「ロマン主義」とは、人間が他者としての世界に主体的に向きあおうとする考え方、という程度の意味だろう。ここで重要なのは、そのようなロマン主義もまた、物語のフォーマットの一つにすぎない、ということだ。「人間」や「意志」といったものもまた、物語り《ナレーション》によって生み出されたものにすぎない。中上が好んだ表現をつかえば、すべては物語に「仕組まれている」ということ、ようするに物語の想定内にある、ということだ。中上は、人間が物語を紡ぐのではなく、物語が人間を紡ぐ、と考える。このような「物語論的転換」を試みた者は、中上のほかにもいた。たとえば、ミシェル・フーコーがその一人だ。しかし、中上は、このことの倫理的な意味をとても深く考えようとしていた。では、それは一体、どのようなものなのか。

このことについて考えるためには、アーサー・フランクが語ったような社会物語学ではなく、もうすこしシステム論的な観点から別の社会物語学を描きださなければならない。そこで、物語とはシステムである、とひとまず定義してみることから、話をあらためたい。だからまずは、システムというものから定義をしなければならない。そのために、ニクラス・ルーマンという社会学者を参照しよう。ルーマンによると、システムとは「違い」のことである。つまり、それは何らかの実体概念ではない。システムという「もの」が一つの不可分な単位として存在するわけではない。システムは「ことなる」という出来事のことだ。しかし、何に対して異なる、つまり違うのか。それは、システムではないすべてのものに対して違うという、答えになっていないような答えになる。ルーマンはそれを「環境」と呼んだ。つまり、「システム/環境」という区別がまずはじめにあって、そのずれそのものがシステムである、ということになる。中上健次も一九八十年代に同じことを語っている。

物語も差別も天皇も、結局は「ずれ」だと思うんです。別の言葉で言えば、ディファレンス、差異ですね。(シンポジウム「物語・差別・天皇」)

八十年代の日本といえば、ちょうどジャック・デリダといった哲学者の仕事が盛んに読まれていた時期だったようだ。「ディファレンス」という言葉もデリダの概念だけれども、ここでは仔細に立ちいらない。むしろ、ルーマンの語ったシステム論的な視点から中上の社会物語学的な問題意識に補助線を引いていきたい。

では、中上がいうように、物語がずれ=システムであるとは、どういうことなのか。これも、差別について考えたときと同様、二重の意味がある。第一に、物語は差異からなる、ということだ。別の言葉をつかえば、物語は関係の束である、ということだ。ただし、この関係という言葉は誤解を招きやすい。この言葉を使った途端、なにかとなにかが関係を結ぶ、と考えてしまいがちだからだ。そうではなく、関係、つまりずれこそが物語の諸要素を生みだす。 たとえば、「オイディプス王」という物語を考えてみる。この物語には父と母と息子が出てくる。父、母、息子という言葉そのものが関係概念なのだけれども、さらにそれらの概念が動詞などを介して結びつくことで、物語はある種の布置を描く。そうすることで、登場人物というものや、その役割が定まる。たとえば「息子が父を殺し、母を娶る」というような布置を考えてみると、「息子」が「娶る」や「殺す」という動詞の主格の位置にあり、「母」や「父」が対格の位置にあることがわかる。このような格関係というずれが、「主人公」というものを生みだす。このような内容レベル、つまり「ストーリー」のレベルでは、物語は差異の体系として働いている、ということができる。第二に、物語そのものが、自己差異化の運動である。物語は、自身とその外部(環境)との区別である。物語には、外のことはわからない。物語は物語として自分が理解可能なものしか、理解しない。その限界が、物語に輪郭を与えている。システム論の言葉を使えば、物語はそのとき、操作的に閉じている。たとえば、写真撮影という一つのシステムを例に考えてみよう。カメラは、光学的に理解できるものを、問題にする。たとえば、レンズの前で焼き肉を焼けば、カメラはその様子(肉の焼け具合や煙など)をとらえることはできる。しかし、音や匂いをとらえることはできない。このような限界が、写真撮影というシステムを操作的な閉じとして完結させている。

物語というシステムにも、同様のことが言える。物語は、物語ることそのものによって、物語り自身と、そうではない者を区別する。このことを文法的なレベルに落としこんで言いかえれば、物語は語り手と聞き手の区別を生み出す。たとえば「こちらは、暑いですよ」と語られるとき、物語は、文法レベルにおける様々なずれによって、ウチとソトの区別を引いている。「こちら」は語り手の側=ウチとして「そちら」からずれて、空間的に区別される。「よ」という終助詞は、「か」の対義語として、ずれている。たとえば、「暑いですか」というのは、語り手=ウチではなく、聞き手が当該の情報を持っているときに使われる。「暑いですよ」は、その反対に、聞き手ではなく語り手が当該の情報を持っているときに使われ、「情報の縄張り」(神尾昭雄)の境界線が引かれる。このようなずれが、「人称」を生みだす。ここでいう人称とは、語り手と聞き手の別ことだ。つまり、一般に信じられているように、語り手という実体(私)がはじめにあって、それが聞き手(あなた)に物語を伝える、ということなのではない。そのような考えは、倒錯している。物語というシステムこそが語り手としての自分自身であり、そういう自分自身をそれ以外のものから区別する、ということだ。

これだけの説明ではあまりに抽象的だと思うので、物語というものを、もうすこし一般的なレベルで、あらためて定義しなおしてみる。ここでは、単に人が口にしたり書いたり語られたりしてできた生産物のことは、すくなくとも物語とは呼ばないことにしよう。それは単なるテクストとしての情報にすぎない。というか、それがコミュニケーションの中で何らかの意味を持たないかぎり、情報とさえ形容できない。つまり、語られた「もの」は、それ自体としては、究極的には意味を持たない。ここではむしろ、物語を、言語コミュニケーションのシステムである、と考えてみたい。物語は、コミュニケーションの内容ではない。つまり、送り手や受け手があらかじめ存在していて、それが物語を情報としてコミュニケートする、ということではない。そうではなく、物語として立ちあがり、ひとりでに意味をなすものがある。それが物語というコミュニケーションである、としよう。ここでこのように物語を捉えなおすのは、そうすることで、主体という概念を避けることができるからだ。いかえれば「だれが物語をするのか」というような不毛な問いを立てずに済ますことができる。どうしてそれが不毛なのかというと、物語の起源としての主体について考えたはじめた途端に、思考が一つの物語の中に沈みこんでしまうためだ。だから、人が物語に先立つのではなく、物語が人を生みだす、とここでは考えておこう。思いかえしてみれば、ヨハネによる福音書の第一行目にも「はじめに言《こと》ありき」と書いてあった。これは、世界の始まりについての言及であるとともに、物語としての当のテクストの始まりについての自己言及でもある。ここで何にもましてヨハネが言いたかったのは、言葉は神や人のような語り手が扱うものではない、ということだろう。つまり、何らかの主体が、言葉という道具を、話す、ということは、そもそもありえない、ということだ。実際、ヨハネも続けて、「言《こと》は神とともにあり、神は言《こと》である」と書いている。日本でも、言《こと》とはなにより、出来事のことだった。言葉がコミュニケーションの道具であると考えられるようになったのは、おそらくそう遠くない昔のことだろう。

人というものは、ある具体的な言葉のうちにしか存在しない。このことを捨象しようとした思想家の一人に、ルネ・デカルトがいる。デカルトは「我思うゆえに我あり」と『方法序説』をはじめとする本の中で書いた。そのようにして自己というものの自己言及能力に哲学の基礎を置こうとしたのだった。しかし彼がここでとても素朴に見落としているのは、自己がそのような超越論的な主体であるための与件として、そもそも一つの具体的な言語(デカルトの場合は、フランス語)のコミュニケーションの登場人物でなければならない、ということだ。デカルトが「我思う」とき、そのようなフランス語の思考は、フランス語の中で理解されなければならない。エミール・バンヴェニストという言語学者も述べているように、「私」が「私」であることの根拠、自己言及の可能性は、そもそも言語の実践の中にしかないからだ。デカルトが夢想したような無色透明の「私」は、存在しない。それゆえに、私とは何か、と自問することには意味がないばかりか、「個人主義」のような特定の物語のフォーマットを強化することにしかならない。このような問いの背後には、フェルディナン・ド・ソシュールという言語学者が信じたような「私は私に私の物語を語りきかせることができる」といった類の物語がある。このことは「実存は本質に先立つ」といった古いスローガンの中にもうまく表現されている。しかし、ここではこう言わなければならない。私が物語るのではない。物語こそが、私を語る。あるいは、こういってよければ、私を騙る。だから、「物語の外に私がいる」と考えてはならない。「私」が「いる」ということもまた、物語に過ぎないからだ。だから、デカルトやソシュールのように、私は私に自己言及できる、と考えてはならない。では、「物語はある」のだろうか。物語は、実体としてあるわけではない。むしろ「物語は物語る」。いや、さらに端的に「物語る」ということしか言えない。主語としての「物語」が「物語る」という行為をしているわけではないからだ。そこには、コミュニケーションの実現しかない。このように考えると、「人」は、決して物語の語り手ではありえず、単なる登場人物にすぎないことがわかる。強引にまとめてしまうと、中上健次はそんなふうに物語を理解していた。そして、中上の社会物語学的な仕事に意義があるとすれば、それは、人が物語の登場人物にすぎないことを認めた上で、人とは何か、という倫理的な問いを立てた、ということに尽きる。中上はいわゆる「人間中心主義」を批判した。これがどういうことなのかをこれから見ていこう。

2. 中上健次は「人」なのか

人間は考える葦である、といったのはパスカルという哲学者だった。ここで彼が言おうとしたのは、人間が反省的かつ主体的に環境に働きかける能力がある、ということだ。しかし、中上健次によれば、「人間は考える葦である」と考えることほど愚かなことはない。むしろ「人間は単なる葦である」(対談「人間」)という。実際、「人」である「私たち」が自由意志をもって主体的に何かを選択する、というのは物語にすぎない。たとえば、「毒を飲んでソクラテスは死んだ」というとき、物語は、ある身体システムが変容するプロセスの複雑性をそのままの形で捉えることができていない。物語はただ、「ソクラテス」が「死ぬ」という主述関係によってしか世界を構成できない。意志や主体性と呼ばれるものは、まさにこのような複雑性の縮減というシステムの働きによって生みだされる。ソクラテスが毒を飲んで死ぬことにしたのであれ、あるいは死ぬことになったのであれ、主語が動詞に結びついて主述関係をなすかぎり、動作主としての主体性が一つの効果として浮かびあがる。日本語の場合、正確には、主述関係というより格関係が同様の働きをする。たとえば「する」のような他動詞は、「なる」のような自動詞と違い、対格、つまり「を格」への働きかけをする。意志は、典型的にこの「を」によって表された関係の中にあらわれる。たとえば、「あなたの気持ちがわかる」と言っても意志は感じられないが、「あなたの気持ちをわかろうとする」と言えば、一つの主体性が浮かびあがってくる。これらの効果は、物語の働き以上のものではない。つまり、意志や精神といったものが、物語の外に実在しているわけではない。たとえば、松果体と呼ばれる脳の一部に精神が身体を操縦するためのコックピットがある、と信じていたデカルトは、このような操作を通して、意志というものの言語に対する超越性を確保しようとしたのだった。意志は、物語の働きである。そのため、人は自由意志によって何かを選択することはできない、と言いたくもなるが、それは正しくない。「人」が「人」という主語であるかぎり、そこに意志はある。言いかえれば、「人」を主語にする物語というフォーマットが格関係を内に含みこむものであるかぎり、意志は避けがたく仮構される。それを虚構として切り捨てることはできない。なぜなら、それこそが、現に私たちが生きてしまっている近代という大きな物語、あるいは近代的な意味での「思想」を成り立たせる枠組みそのものだからだ。

たとえば、ユルゲン・ハーバマスという政治哲学者は、人と人との理性的な対話によって世界を変えることができる、と考えた。たしかにそのように、人が自由なコミュニケーションの主体であると考えなければ(というより、コミュニケーションの主体としての「人」を想定しなければ)、だれかが何かをする、あるいは、すべきである、ということが言えなくなってしまう。だからこそ、たとえば政治というものは、往々にして選択を迫る。選挙制度というものの本質も、選ぶということにある。しかしそれは、個人の自由意志を前提としているからではなくて、そのような選択の制度こそが、個人というものや意志というものを仮構する装置なのだろう。つまり、個人が選択をするのかしないのか、というコードが、すでに政治という物語をなしている、ということだ。中上は、そのような社会的な行為主体である個人としての「人間」に拒否感を示す。なぜなら、それは近代という物語の登場人物に過ぎず、物語には、限界があり、死角があるからだ。そして、中上にとっては、それは差別のことだった。

そもそも、ミシェル・フーコーによれば、「人間」は十八世紀末ごろに誕生した概念なのだという。日本においては、それが明治のはじめに輸入される。柳父章という翻訳学者がいうように、「個人」や、それと対になる「社会」という概念もそのころ、翻訳によって生まれた。さらには、英語の「I」への対応物としての「私」、つまりそれまでの日本語にはなかった「主語」としての「私」も、そのころの生まれである。日本語には代名詞という概念がない。そのかわりに、拙者やみども、あっし、手前といった様々な「自称詞」があった。それを「私」へと一元化する動きが、言文一致運動の一環として、義務教育のレベルで行われたのだった。

時枝誠記という国語学者がいうように、日本語は根本的に「敬語的」である。もうすこし一般的な言葉で言いかえると、日本語は「待遇的」である。敬語の使用は丁寧な話し方を可能にするが、不使用がニュートラルな(非敬語的な)話し方を可能にするわけではない。むしろ、不使用は横柄を意味する。中上は、このような日本語を本質的に「差別的」であると形容した。これは先に見たように、日本語は、語り手と聞き手の関係を避けがたく表現する(もっと正確には、語り手と聞き手というずれを生み出す)、ということだ。自称詞も、聞き手と語り手の関係を避けがたく表現してしまう。このことは、現代に残った「私」や「僕」といった自称詞にニュートラルな響きがないことからも直感的に理解できる。あるいは、我が子に対して「お父さん」や「お母さん」という自称詞を使ったときと、「私」という自称詞を使ったときとでは異なる親子関係が生み出される、ということからも容易に理解できるだろう。

そのような関係性、つまり聞き手と語り手の別を隠蔽しようしたところに、言文一致運動の特徴があった。言文一致運動は、話し言葉と語り言葉を一致させることではなく、新しい「書き言葉」を生みだすものだった、とも言われているが、これは本質的ではない。言文一致運動の意義は、「文《センテンス》」の発明により、新しい話法、つまり新しいコミュニケーションの方法が誕生した、ということに尽きる。そのときセンテンスとしての文が存在しなかったということは、「言文一致」という語における「文」が、センテンスではなく、エクリチュールを意味していることに、端的に示されている。そのときの文脈を押さえておこう。明治の初頭に、新聞や雑誌といったマス・メディアが生まれた。そのときに「大衆」という匿名の「読者」が誕生した。ところが、日本語は聞き手と語り手の具体的な関係を表してしまうものであるがゆえに、当時はそのような匿名の読者を相手への語り口を持っていなかったのだった。つまり、新しいコミュニケーション空間における「筆者」と「読者」の関係を表現できずにいたのだった。

そこで、言文一致運動が必要としたのは、話すように書くことではなく、「誰にも話しかけないように書く」ような話法の登場だった。これは「声に出して読まれることを前提にしない」ような文体、つまり黙読のための文体の発明によって可能になった。そのためには、声から切り離された「文《センテンス》」が必要だった。その誕生の下支えになったのが、洋書の機械翻訳といった作業や、現代的な意味での句読点という発想の普及だった。この言文一致運動によって、現代の日本語は、二つの異なる話法を持つことになった。シゲユキ・クロダという言語学者はそれらを「報告体」と「非報告体」と呼んだ。この違いを理解するために、一例として「He wanted a car」という文をニ通りの仕方で訳してみよう。

  • 彼は車をほしがっていた(よ)。  [報告体]
  • 彼は車がほしかった。      [非報告体]

一つ目の言い方は、だれかと話しているときに使われる。だれかと話すときには、かならず話し手と聞き手の区別が問題になるが「ほしがっている」や「よ」という表現が、そのような区別を表現している。たとえば、「ほしい」のような感覚形容詞(「うれしい」や「さむい」など)は、「あなた」や「彼」といった語り手以外を指す名詞を主格にとらない。これは語り手は他人の内面へのアクセスがないためだ、といった説明がなされたりもするが、それは正確ではないし、「内面」のような粗末な言葉がここで使われるべきではない。そうではなく、「ほしい」と「ほしがっている」の使い分けこそが、聞き手と語り手というウチとソトの区別を生み出しているのだ。ところが、二つ目の言い方は、そのような区別を隠蔽している。ここでは、この文が語り手によって聞き手に発話されない、という条件のもとで、「彼」と「ほしい」の組みあわせが可能になっている。このような聞き手と語り手の関係性の隠蔽は、「た。」で文を終止するという書き言葉の定着が可能にしたのだった。これは極めて画期的なことだった。さらに、「た。」は、「待遇」というコードによる聞き手と語り手の区別を隠蔽することにも成功した。このことは、以下の四つの文を比較することで直感的に理解できる。

  • 今日は雨です。
  • 今日は雨だ。
  • 昨日は雨でした。
  • 昨日は雨だった。

一つ目から三つ目の文は、聞き手と語り手の待遇関係を無視できていない。丁寧なものもあれば、横柄なものもある。ところが、四つ目の文にだけは、聞き手に頓着しないような、だれに語りかけるわけでもないような語感がある。それは、なぜなのか。なぜなら、「た」には情報の伝達というコミュニケーショナルな機能以前に、情報そのものを認知する、という機能があるからだ。「た」は「過去」を表すものではない。そもそも日本語に時制概念は存在しない。「た」は、歴史的には「たり」が省略されて生まれたものだが、「たり」に「あり」が含まれていることからもわかるように、存在動詞である。だから今でも、探しものを見つけたときに、「あった!」という言い方がなされる。この「あった!」は、もちろん過去を表すものでもなければ、既知の情報を伝達するものもではなく、情報の発見そのものである。発見された情報を伝えるときは、むしろ「あったよ」とか「ありました」という言い方がなされる。

こうした「た」が持つコミュニケーション以前の認知的な性格がクロダのいう「非報告体」という新しい話法を可能にした。このことを鑑みると、山田美妙らが試みた「です・ます」調による言文一致が成功しなかったのは、当然のことだったとも言える。なぜなら「です・ます調」は、「た。」によって終止される文と違い、情報の伝達による聞き手への働きかけを含意するものだからだ。そして、このような語りかけを含意するかぎり、情報は「文」として終止しない。

「た。」によって生みだされた語り口は、当時としては革命的な出来事だった。そして、このことは、繰りかえしていえば、句読点つきの活字を黙読する、という物理的な条件のもとで可能になったのだった。たとえば、言文一致体のインスピレーションの源になったといわれている落語家の三遊亭円朝の語りを見てみても、「た。」によって「文《センテンス》」をする終止するような形は決して多様されていないことがわかる。なぜなら、落語は、黙して読まれるものではなく、あくまで聴衆への語りかけをするものだからだ。日本では、二十世紀の初頭に小学校で国定教科書が使われるようになったあたりから、言文一致運動の生みだしたこの新しい話法が「私」という擬似的にニュートラルな「主語」という疑似概念に結びつくことで、新しい物語りの形がひらかれる。それが夏目漱石が晩年に完成させたような近代小説の語りである。そして、この新しいコミュニケーションの形を特徴づけるのは、語り手も聞き手も匿名であるということ、つまり具体的な対人関係を結ばない、ということだ。「読者」という匿名の登場人物は、「私」の鏡として、日本においてはそのようにして誕生した。ここでいう読者とは、ロラン・バルトという評論家の言葉を借りれば、

読者とは、歴史や経歴や心理のないひとりの人間のことだ。テクストを織りなす痕跡を一つの場にまとめあげる、そのだれかである。(「作者の死」拙訳)

このような読者という無名の宛先がなすコミュニケーション空間のことを、ベネディクト・アンダーソンという歴史学者は「想像の共同体」と呼び、国民国家という公共空間の基礎にあると考えたのだった。新しい話法によって可能になった匿名的な関係は、同時に、個人であるところの「人間」としての「私」の基礎にもなっている。なぜなら、個人という概念は、それを全体を構成する一個の単位であると考えるのなら、その独異性ではなく、代替可能性に特徴づけられており、それが代替可能であるためには、「拙者」や「あっし」でも「手前」でもない、匿名の「私」でなければならないからだ。もうすこし歴史的な文脈に引き寄せていえば、武士や百姓、町人などではなく、国民や市民であるところの「人」として、身分をはじめとする具体的な関係からは自由であり、等価であることが、「私」という個人が存在するための与件になっている、ということだ。中上は、だいたいこれらのことを独自の嗅覚で嗅ぎとった上で、近代に誕生した「国語」としての「日本語」という書き言葉を問題にする。なぜなら、日本語という近代のコミュニケーション空間こそが、「人」を「人」たらしめる与件としての物語であるからだ。このような日本語はもちろん、日本(語)文学も、国民国家という枠組によって成立している。中上は、すくなくとも日本語という書きことばを生きつづけるかぎり、「人」であるよりも前に、避けがたく「日本人」であってしまう、ということに気づいていた。どうしてそれに気づけたのかといえば、中上は「日本人」という市民ではないものの世界、いわば「非人」の世界が、日本語という書きことばの外に広がっていることもまた知っていたからだ。まさにそれゆえにこそ、フランクフルトで行われた講演会で「私は〈日本〉人なのか」と問う。

母も兄も姉たちも、文字を読み書きしません。できません。文盲です。家族の中では、私一人、字の読み書きをするのです。本を読み、本を創っているわけです。母に連れられて桜の咲く小学校の校庭に入ったその日からいままで、これから私の呼吸が停止するまで、私の愛する、文字に関係のない疎外された母たちの世界と、文字のこの世界の間の亀裂に、身をよこたえ、理由のない怒りに身を震わせ続けるし、続けるだろうと自覚しているのです。[…]文字の世界、文学の世界で、私のこの怒りは時に短絡し、日本近代文学批判になります。端的に言えば、近代文学の世界、この豊かな文字の国の表記に、私たちは含まれていない、ということです。(講演「私は〈日本〉人なのか」)

中上はこの講演の中で、自身が避けがたく日本人であるということの恣意に苛立っている。日本語という物語の外側を知らなければ、そもそもそのような恣意を感知することはなく、苛立つこともない。日本語の世界からずれながらも、日本人でしかありえないことが、ここでの中上の問題になっている。だから、たとえば、川端康成のノーベル文学賞の受賞スピーチの題名に着目しながら、次のように言う。

川端の〈美しい日本の私〉というタイトルが語っているように、〈日本〉と〈私〉を重ねる発想に、私は注目します。これは、文学が個人的な営為であるという近代あるいは現代文学の考えや、文学が個人の思想や感性の表現だという考えと、はっきり対立します。[…]川端の問いは過激で根本的です。(ibid.)

中上がこのように「個人」を問題にするのは、それが日本語という物語の登場人物としての「日本人」でありながら、まさにそれゆえに、その事実に触れることができないからだ。それはたとえば、デカルトがフランス語で思考するときに、フランス語そのものは思考の背景に退かなければならないのと同じことだ。そのような点で、個人は、原理的に無知である。このことを中上は次のように表現している、

だいたい物語の主人公というのは、一定のタイプがある。それはまず、無垢な子供である、ということです。主人公は無垢である。どんな悪役でも、主人公として存在するかぎり、無垢にされてしまうという物語の構造がある。[…]根本的にはわれわれがいまそのなかにいる文学という制度のなかに、何かそういう仕組があるんだ、ということです。軍隊を書こうとしても、主人公に関するかぎり、悪のメカニズムのなかにはまり込んで悪を行なうということを、外からの眼からきちっと見るようなかたちでは書けない。(談話「坂口安吾・南から光」)

卑近な例をあげれば、すくなくとも日本において、テロリストのような者が悪として描かれるのは、それが実際に悪事を行っているから、というわけではない。それは単に、物語の布置に由来している。テロリストはさまざまな理由で主人公という視点人物に置かれないがゆえに、原理的に悪=テロリストなのだ。それと同じように「人」は、物語の主語に立つかぎり、構造的に善をになう。「人道主義」や「人情」という言葉の語感にそれがよくあらわれているし、「人でなし」としてだれかを「非人間化」して悪の側に立たせることがあることからもよくわかる。説話論的な仕組みとして、「人」は善をなす。中上はそこで、「日本人」や「日本語」という限界の中に見たように、その善が限定的かつ差別的であることを問題にする。それゆえに、物語の道徳(中上自身はそれを「物語の定形」と呼んだ)について考えようとする。

物語は、非道徳的《アモラル》である。これは不道徳的《インモラル》、つまり悪いこととはちがう。そうではなく、物語は道徳を成立させる当のものとして善悪の彼岸にある。また、ここでいう道徳は、倫理とは違う。倫理はむしろ、言説の形をとる。とりわけ、「汝、殺すなかれ」のような二人称の物語である定言の形をとる。ここでいう道徳は、そのような明示的メッセージのことではない。物語の道徳は、そもそも何が語られ、何が語られないのか、というところから始まっている。物語は、語り手や登場人物を限定的な視野に置く。「私」が登場すれば、「私」は「私」という限界の中でこそ存在する。そこには、見えるものと、見えないものがある。見るものと見られるものがある。そこでは、見るもの、見えるものが、物語の主語になる。そのような視野の限定が、意味=方向性《センス》としての道徳を生みだす。したがって、物語そのものは非道徳的であるのに対し、物語の進行の中にいる語り手や登場人物たち、とりわけ一人称語りの主人公であるような「私」は、避けがたく道徳的である。その上、無知である。道徳は、与件としてのその無知に支えられている。

中上はそのような無知を批判し、知を唱導しようとするわけではない。しかし、それは単に、知は無知の裏返しでしかないからだ、という理由によるのではない。そうではなく、私たちは、唱導が不可能なレベルで、避けがたく無知であってしまうからだ。人は知らずしらず物語に呼びかけられ、物語の道徳を無邪気に生きてしまう。たとえば、ちょうど今ここで、日本語が知らずしらずに生きられてしまっているように。そして、日本語という物語こそが、語り手と聞き手の別、つまり「私」と「あなた」を生み出す源だった。このような意味で、人は物語の操り人形としてのみ、人であることができる。中上はそこで、物語という無慈悲なシステムに操られる者の「尊厳」を考えようとした。あるいは、次のような言い方もできる。中上は、避けがたく物語の中の虚構であってしまう者、避けがたく「人」であってしまう者、風になぶられる葦のように物語に操られてしまう者を肯定しようとした。そして「人間の倫理とは何だ、文学における倫理性というのは一体、何なんだみたいな、もっといえば人間性とは何なんだということ(鼎談「解体される場所」)」を問おうとした。中上の限界と可能性の一つが、おそらくこのあたりにある。中上は死の二年前に、娘のひとりに宛てた手紙の中でこんなことを述べている。

お父さんの名前は、健次という。おじいちゃんか、おばあちゃんが、つけてくれた。第二次世界大戦、つまりアメリカやイギリスという民主主義の国相手に、日本が引き起した無謀な戦争、その戦争の敗北の後に、お父さんは生れた。だからなのだろう。健次の健は健康という意味、次は二番目という意味。二番目の健康な息子である。健康に育ってほしい。そんな両親の意味がこもった名前だ。戦争に苦しみ、次々と無意味な死を迎えた人々を見たら、天に祈るような気持ちで子供を名づけるのは、よく分かる。(『エレクトラ』高山文彦)

こう前置きをした上で、次のように続ける。

菜穂という名はお父さんが名づけた。[…]おまえの名前を菜穂と名づけるとき、この子と、この子の生きる世界に、稲穂と野菜があまねく行き渡りますように、天にいのって、名づけた。[…]菜穂は飢えてはいない。ではどうして、他から飢えた子供の泣き声が聞こえるのか。菜穂はその矛盾を考えてほしい。問題があるなら、それを解いてほしい。もし不正義があり、そのためだというなら、不正義と戦って欲しい。しかし戦いは、暴力を振うことだろうか? 違う。人間の存在の尊厳を示すことだ。そのためには、英知が要る。豊かな感受性が要る。菜穂が、この学校で学ぼうとしていたことは、不正義と戦う本当の武器、つまり人間の存在の尊厳を示す方法だったのだ。頑張れ。心から愛を込めて、声援を送る。(ibid.)

中上は素朴な人間主義者ではない。しかし、そもそも中上にとっては、人間主義は、政治的な選択の問題ではなかった。現実的な困難として、本当の問題に直面している者にとっては、政治は選択可能性という特権としてあらわれるのではなく、生そのものでしかない。中上にとっては、何かの物語に呼びかけられ、そのような物語を生きてしまっている、その現実が問題だった。右に引いた手紙の中では「どうして、他から飢えた子供の泣き声が聞こえるのか」と問いかけている。声が避けがたく聞こえ、物語に呼びかけられてしまうことは、すでに与件としてある。それは、どうしてなのか。ここであらためアーサー・フランクを思い起こせば、先に見たように、ナラティブ・ハビトゥスが物語への親和性を方向づける、と考えることで、中上の問いに答えることもできるかもしれない。これは、ゆるやかな決定論的な立場である。しかし、右の手紙を注意深く読めば、ここでの中上の問いは、そのような因果関係にかかわる問い、物語による説明によって誤魔化せるような問いではないことがわかる。

中上が娘に投げかけているのは、もうすこし哲学的な問いである。それは「菜穂はそもそもどうして菜穂であって、菜穂でない者ではないのか」ということだ。つまり、物語によって説明可能な何らかの必然性(ないし偶然性)が問われているわけではない。ここでは、物語というシステムが避けがたく抱える偶有性が問題になっている。ここでいう偶有性とは、contingencyの訳だけれども、直感的ではないので、あまりいい訳であるとはいえない。「contingent」という原語には、英語の場合、「〜次第である」という意味が含まれている。これは、あることが他の諸事情に左右されていることをいう。だからたとえば「非独立的」というような意味での「依拠性」というふうに訳すことさえ可能な言葉だ。あるいは、「縁」という便利な日本語を思い起こしてもいいかもしれない。縁があった、なかった、というときの縁だ。これは、仏教的な意味での「縁起」としては、Interdependent co-arisingとでも英訳される言葉である。つまり、諸々のものが分かちがたく関連している、ということだ。それゆえに、万事が偶発的である。縁があった、という言い方は、そういう意味で、単なる偶然ではないもの、むしろ偶有性というべきものをよく捉えている。

偶有性とは、まさにこのような密接な相関ゆえに、あることが「ほかでもありえたこと」をいう。たとえば「私が今、餓えずにいる」という事態の偶有性を考えてみる。このことは、無数の条件のもとでまさに奇跡的に成立しているが、それは単に、様々な「もし」をくぐり抜けてきた一本の細い道筋の先に飢えていない「この私」がある、ということではない。そのような私は、他の可能な諸物語を生きたかもしれない無数の私のうちの一人にすぎないからだ。これは、単なる偶然性でしかない。偶有性とはむしろ、「この私」の成立が「そうではない者」に支えられていることをいう。偶有性の考え方においては、そもそも無数の物語や無数の私が各々に独立して存在している、と発想することはできない。ある哲学者が「永遠回帰」という言葉で表現しようとしたように、世界は端的に一つしかない。それは、端的に「この私」が「この私」でしかないのと、同じことである。たとえば、この私に兄弟が一人いたとしよう。そのとき、もしその兄弟が生まれていなかった場合、自分はどうなっていたのか、と仮定することはできない。兄弟がいないことで、世界の全体が連鎖的に変わってしまい、この自分がこの自分でいることもまた、不可能になるからだ。つまり、この自分ひとりを、あらゆるものから無縁なものとして、世界から捨象することはできないのだ。偶有性にまつわるこのような哲学的な議論は、日本語の陳述を例にすることで、もうすこし具体的が裏付けをとることができる。

日本語における陳述とは、取りたて助詞の「は」によって提示されたものについての判断を下すことをいう。取りたてとは、システム論の言葉遣いをすると、「なにかを他のものから区別しながら指示する」ということである。取りたて助詞の「は」は、そのために、文中のある要素を他と代替可能なものにする。いわば、文の一部をスロット・マシーンのように展開可能にする、ということだ。たとえば、「私は、恵まれている」というとき、取りたて助詞の「は」は、一つのスロットとして「私」を開いている。つまり、「あなた」や「あの人」といった他の代替案が「私」にとってかわる、その代替可能性を提示している。そのような可能性の地平の中で、「私」が一つの可能性でしかないことが示され、そこではじめて「恵まれている」ということが真として成立する。言いかえれば、「私は、恵まれている」ということは「他の代替案の場合は、その限りではない」という可能性に裏付けられることで、つまり他の代替案を否定しながら排除せずに保つことで成立している、ということだ。このことは、単に「私が恵まれている」と記述するとき(つまり「私」を陳述の条件として取りたてないとき)とは、大きく異なる。これだけでは、ぴんとこないと思うので、もうすこし具体的に話したい。そのために、先の議論でも触れたシゲユキ・クロダを援用しよう。

クロダは、右のように「は」を使った陳述のことを「二重判断」と呼んだ。そうすることで、それを「単純判断」から区別した。単純判断とは、単なる主述関係の構成のことだ。たとえば「母が笑っている」というとき、これは単に、「母」と「笑っている」との格関係を示した単純判断にすぎない。では「母は笑っている」というのは、どうだろうか。ここでの「は」は「が」の機能も兼務しているので、この文は格関係を示してもいる。しかし、それだけではなく「は」は「母」を陳述が成立する条件として取りたてている。つまり「母」という条件のもとで「笑っている」が真になる、ということを含意している。裏を返せば、他の条件下の場合(たとえば「祖母」の場合)は、そうではないかもしれない、という否定的なニュアンスを内在している。それが、他の代替案を否定しながら排除せずに保つ、ということだ。なぜそうなのかというと、否定の可能性に裏付けられてこそはじめて、なにかを肯定することが可能になるからだ。それが二重判断による陳述である。「は」は、そんなふうにして「母」に取ってかわる者の可能性の地平を開く。「母は笑っている」という物語はそのとき、偶有的である。なぜなら、この物語は、母ではない者の存在を排除しながら保持することで、つまりそれらに依拠することで成立しているからだ。だから、中上が娘に宛てた手紙に戻れば、飢えを知らない「菜穂」として願われた者も、健やかな「健次」として願われた者も、決してそうではなかった者との代替可能性の中でのみ存在している、ということになる。そのような者でもありえたかもしれない自分が、なぜか奇跡的に、そうではないことによって、そうではない者によって存在している、という偶有性が、頼りない「この私」の物語に満ちている。

このような発想は、物語とはずれである、と考えることのごく自然な帰結であるようにも思える。偶有性というものは結局、差異の一側面にすぎないからだ。つまり、差異は根本的に偶有的なものなのだ。 何かから違うということは、その何かに拠っている、ということ、もっといえば、究極的にはその何かと同類である、ということを含意している。たとえば、「あつい」という語は「さむい」の反義語だと考えられているけれども、「あたたかい/すずしい」という軸との比較で考えると、むしろ「あつい/さむい」は、それが不快感をあらわす、という点で類義的であるといえる。また、皮膚感覚による体感温度をあらわす、という点でも類義的だ。そのような意味では、反義語というのは類義表現の一つにすぎない。このことから、差異というものはそもそも、なんらかの比較可能性のなかにしかないことが理解できる。たとえば、物語は差異である、というとき、それはほかの無数の物語との比較可能性の地平の中でしか理解されない。ある物語の成立は、それゆえに、ほかの物語の可能性のみに依拠している。このように差異は偶有的である、ということは、物語というシステムが操作的に閉じられていることの含意でもある。中上はおそらく、このような偶有性に「人倫」の可能性を見ていた。物語の登場人物としての「人」は避けがたく「別」の「人」である他者に拠っているということの、その避けがたさが中上には問題だった。好意的に解釈すれば、そのことを中上は「人」という言葉で的確に表現しているようにも思える。

俺が書いているのは、人間中心主義とか、そういうエキスキューズとして通用するものじゃなく、むしろ人だよ。(対談「感性について」)

中上は「人」というものが何なのかを定義しない。しかし、和辻哲郎という哲学者が述べていたように、一般的には、三つの意味がある。「自分」、「他者」、「世間」である。たとえば「ひとの物を盗る」というのは「他者」の意味だけれども、「ひと聞きが悪い」といえば、もうすこし意味が拡張されて、「世間」一般にまで広がっている。あるいは「ひとを馬鹿にするな」や「ひとのことを構うな」と言うのは、自分自身が他者にとっての他者であることの理解によるものだ、と和辻はいう。そう考えてみると「人」は、個人としての「人間」と比べてはるかに曖昧で、視点が根本的に二重化されている、ということがわかる。「人」のことを書く、というのは、同定が(不)可能なだれかを物語ることではない。そうではなく、「自分」が「他人」であり「他人」が「自分」であるかのような二重性を物語は避けがたく含みこんでしまう。物語のその偶有的な性格を中上は問題にしているように思える。このとき、中上のいう人倫は、「だれかが何かをすべきである」というような物語の形をとらない。かくかくのものがなぜそうあってしまうのか、というような偶有性を中上が問題にするとき、中上は、他でもありえたかもしれない、という可能性の中で、現にはそうではないことの恣意の重みを計りかねる。たとえば、ひとはひとに同情をしようと思ってするのではない。気づけば、避けがたく同情してしまっている。あるいは、ひとは互いに分かりあおうとするのではなく、避けがたく分かりあえてしまっている。物語の道徳として、すでにそれが用意されてしまっている。中上の言葉でいえば、「呪縛」としての物語をすでに生きてしまっている。たしかに、別様でもありえたかもしれない可能性は、ほかにもいくつもあった。しかし、いずれにしても、そこには無数の可能性しかない。不可能なものは、そもそも物語として存在しない。なぜなら、可能性として提示されうるものこそ、物語にほかならないからだ。中上はおそらく、それらの可能性の束としての物語の重みを計りかねながら、かくかくのものが現にそうあってしまうことに、人の「尊厳」なるものを見出そうとしていた。

これまでのことをまとめると、次のように言える。中上によれば「人」は物語の登場人物にすぎない。物語は「人」を限定的な視野=道徳の中に置く。たとえば「個人主義」のようなものそのうちの一つだ。そのため、「人」はそもそも物語から自由な倫理的主体になることができない。そこで中上は、「だれかが何かをする」ことにではなく、物語がシステムとして含みこんでしまう偶有性、つまり、なにかが他でもありえたのに現にそうあってしまっていることの重みに、倫理の契機を見出そうとした。たとえば、「人」というものが虚構であるにもかかわらず、物語がそれでもなお「私たち」という「人」をその主人公に立て、一つの虚構を生かしてまう、という、そのような重みに。それは、一つの限界であり、理論の不徹底でさえある、しかし、中上にとっては、まさにそれゆえに、重い。それは現に生きてしまっている現実であり、そこで選択というものが問題にされることはないからだ。

このことは、「私が主人公(主語)であること」と「私は主人公であること」の違いとしてまとめなおすこともできる。「私が主人公であること」においては、「個人」としての私、この私が他でもないこの私でしかない、という独異性に物語の道徳が見出されるだろう。そこには排他による同定の論理が働いている。それが「が」という格助詞の働きである。そのような物語には、偶有性はなく、必然しかない。たとえば、スピノザという哲学者は、このような必然の肯定にこそ、彼が「エチカ」と呼ぶ物語の道徳を見出したのだった。その一方で「私は主人公であること」においては、「人」という視点の定まらないものとしての私が私以外のものでもありえたかもしれない、という含みがある。そのように二重化された主体性、つまり物語が「ずれ」であるという事実そのものに、倫理の契機のようなものがある。そこには主人公が無数の選択肢のうちの任意の一人でかないことこそが物語が成りたせている、というその限界と、それでも現に私がその主人公であってしまうことの重みが刻まれている。物語は、それが物語であるかぎり、つねに主人公が必要であり、それが他でもないこの私である。しかしそのとき、そんな世界には、必ず外部がある。これはスピノザという哲学者が必然性の中に物語の道徳を見出すにあたり、世界というものの外部を措定しなかったことと、ちょうど対象的だ。

こんなふうに、中上の可能性の一つを取りだしてみることができるかもしれない。そして、こんなふうにまとめてみると、中上が少しも大したことを言っていないことがよくわかる。中上は、何かを言うことに成功した人間ではなかった。それはただ単に、中上が優れた小説家だったからだ。それでも、中上は、問いの意味を深めることには、成功しているように思う。あらためて、なぜ差別はあるのか、という始めの問いに戻ろう。差別があるのは、私たちが物語をその登場人物として生きているからだ。それは私たちが選んだ物語ではない。にもかかわらず、それは避けがたい。そればかりか、物語によってのみ、私たちは私たちでいられることができる。さらにいえば、物語がなければ、「他者」なるものについて考えることさえできない。「私」のないところに、他者もまたないからだ。こうしたことは、なぜ差別はあるのか、という問いへの直接的な答えにはなっていない。ただ端的に、差別という物語が避けがたくある、と言っているに過ぎないのだから。そして、そもそも、このことへの直感こそが、中上の出発点だった。中上はこの問いには答えられなかった。しかし、この問いへの中上の態度には「社会物語学的」とでも呼べるような何かがある。社会物語学は、物語という出来事の働きを問題にする。日本においては、中上はそういった問題系にいち早く身を置いていた者のうちの一人だった。

さて、ひとまずそうまとめた上で、最後にミシェル・フーコーが語っていたことに触れたい。フーコーは「作者とは何か」という講演の中で、作者とは文学というシステムの機能にすぎないと述べている。フーコーによれば、作者が物語を生みだすのではない。そうではなく、文学が作者名という機能を通して物語の流通をコントロールするのだ、という。フーコーはそのように作者というものの実体化を批判し、作者名という機能が具体的にどのような働きをするのか、ということを問題にした。フーコーはそこで「だれが語ろうと構わないではないか」というサミュエル・ベケットの言葉を引きながら、(「2ちゃんねる」というかつて流行ったウェブサイトのような)匿名のテキスト・コミュニケーション空間を夢想している。作者という語り手はコミュニケーションの起源なのではなく、コミュニケーションにおける副次的な機能にすぎないということ、語り手がいなくてもコミュニケーションは成立するということを、フーコーはそこで述べている。しかし、「だれが語ろうと構わないではないか」とフーコーがベケットを引きながら言うとき、フーコーはまさしくそのことによって、それが匿名であれ、実名であれ、作者名であれ、いずれにしても「だれか」が語ることそのものを議論の前提にしてしまっている。ここでフーコーがはからずも示しているのは、だれが語ろうと構わないが、やはり、だれかが避けがたく語るものなのだ、ということなのかもしれない。ちょうどここでは、「中上健次」や「私」のような虚構が物語りをしているように。それは一つの致命的な限界である。しかし、その限界が新しいコミュニケーション(物語)への活路にもなっている。「ひと」や「人間」といった物語の登場人物は、ちょうどそのようにつねに仮構されつづけるのだろう。その意味が、いまなお問われている。

(2019/06/31)