息子が事件を起こして申し訳ない

安倍元首相銃撃事件をめぐって#3
@mimei_maudet
Journal : 2022/07/17

 わたしにも時にはなにかのきっかけで日本に行くことがあり、老いた両親と顔をあわせなければならなくなることがある。そのけろりとした厚顔無恥の顔、我が子の帰宅を喜ぶ父親母親然とした陰りのない顔を見るたびにきまって、なぜこのひとたちはまだ生きているのだろうと思う。そして、その素朴な疑問はそのまま自分の身にも返ってきて、いまだに生きていられることの恥ずかしさに腹の煮えくりかえる思いがする。

 7月14日付けのニュースには、山下徹也容疑者の母親(69)が「息子が事件を起こして申し訳ない」と供述している、とあった。その息子は今、7月15日付けのニュースでは、留置所で腕立て伏せをしきりにしている。やがては極刑に処されることになるかもしれない。先のことは誰にもわからない。そんななかでとりあえず汗を流している。事件の前には所持金も尽きかけていた。60万円ほどの負債もかかえていたようだ。一度は自身に生命保険をかけて自殺を試みたこともあった。母親に手をかけようと思ったこともあったに違いない。その人がいま、自身の最後の夢を叶えたあとで、腕立て伏せをしている。

 ひとはいつか死ななければいけない。個体がほろびることで、世界は浄められる。ひとつひとつの死、連鎖するおびたただしい数の死が、このいまも、この世界を崩壊の危機から救ってくれている。それは大げさなことでもなんでもない。いますぐ、だれかが死ななければならない。そのだれかがわたしであってもおかしくない。それなのに、わたしはとりあえず生きのびていて、わたしのかわりとなって死んでゆくものたちのおびただしい死の上に、やすらかなあぐらをかいている。

 安倍元首相がやわからかな肉に豆粒のような穴を穿たれ、血を流した。むかしコルカタで見かけた羊、首をかき切られ天に昇る勢いで震えあがった羊のことを思い出す。その羊がそれを見ているこの自分自身ではないこと、なぜかこうして自分自身は息をしていることのおどろきと後悔に、胸がつまり張り裂けそうになる。

 ひとが血祭りにあげられるということは「事件」としてさまざまなメッセージを持ってしまう。死がことばににぎわいを与え、ことばをゆたかにする。ことばは血を吸い、かがやきと生気にみちて幸わってゆく。深い安堵のためいきのなかにおおきく包みこんでしまうような力。生活の糧。そんな暗闇のなかでやはり自分はただ言葉を研ぎそうとしたり、耳をそばだてようとすることしかできない。息子が事件を起こして申し訳ない。腕立て伏せのさなかに自分でそうつぶやいてみて、そのつぶやきのはらむかそけさのような震えに、もっともっと暗い声のひびきを聴き取ろうとする。