(フランス語での議論を日本語で考えなおすための私的な覚書)
社会学者のアーサー・フランク(2010)によれば、物語 story は生きており、社会的な働きがある。ルイ・アルチュセール(1970)のいう呼びかけを物語は行うという。人はそれに応えたり反発したりすることで物語の主人公になる。人が持つ物語への感度(感性)は、ブルデュー(1972)にならい、ナラティブ・ハビトゥスという。フランクはほかにもピエール・バヤール(2007)などの議論もとりあげているが、割愛。このようなフランクの議論がある一方で、中上健次は1980年代の日本で「資本論としての物語論」を構想していた。これらの議論をベースにした上で新しいコンセプトを考えていく。そのためのメモ。
物語の流動性 Liquidité narrative:物語 narration は、ドゥルーズのいう実現 actualisation のプロセスの一つである。これはバーチャル(潜勢的)virtuel なものがアクチュアル(現勢的)actuel になるというプロセスである。折口信夫の言葉づかいに即して言えば、物語は「もの」でもあり「こと」でもある。折口信夫は「もの=霊=マナ=外来の力」が「こと=言/事」になると考えた。つまり物語とは、いまだ物語でないものが物語という形をとる働き、ないしシステムのことである(それを理論的に基礎づけるのにニクラス・ルーマン の議論や、Linguistique enonciativeの考え方が有効であるように思われるけれど、ここでは割愛)。物語はほかの物語との親和性 compatibilité や翻訳可能性のなかでネットワークを形作っている。このとき、あらゆる物語は流動的なプロセスなので、広がったり、狭まったり、ほかの物語と接続したりする。ネットワーク上には、そのような流動性が高い場所もあれば、低い場所もある。物語はバーチャルであればあるほど流動性に貢献する。
語り手/聞き手の動員 Mobilisation des narrateurs/narrataires :これは物語への感度(ナラティブ・ハビトゥス)の概念と似たもの。物語の個々の参加者は、物語に動員されやすかったり、されにくかったりする。動員された場合、参加者は代替可能な匿名者としての役割を持つ(たとえばアンダーソンのいう「想像の共同体」は匿名の国民の共同体のこと)。最終的に動員されるかどうかは物語の流動性や物語自身の動員力にも拠る。このプロセスのなかで、物語は語り手や聞き手という「もの」、つまりリソースを、力に変えて、流動性へ転嫁する。
物語の寓意的な性格 Nature allégorique de la narration:物語は、バーチャルな次元を持っているために、つねに多層的なレベルでの読みが可能である。物語は文字通りの一義的な意味だけではなく、含意(倍音)connotation の重なりと輻輳によってでできている。物語は、かりそめの形、実現の途上にあるバーチャルな形を提示する。この性格により、物語の親和性、翻訳可能性が可能になり、ひいては流動性の拡大が可能になる。